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南アフリカの旅1995・ヨハネスブルグ


こんばんは! サントンのホリデー・インに泊まっています。
サントンとはヨハネスブルグの北に隣接する都市で、日本人の方が大勢住んでいるそうです。昔は、日本人の方たちはヨハネスブルグに住んでいたそうですが、治安が悪くなったためサントンに移ってきたのだそうです。

ヨハネスブルグ市内をドライブしましたが、市内はビルが立ち並び、歩いている人たちが黒人の方でなければ、ここがアフリカとはとても思えません。
ヨハネスブルグの市中は白人の方は殆ど歩いていませんでした。歩道には出店がならび、黒人の方がウロウロと歩いていたり、街角にたむろしていました。 信号待ちをしていると、黒人の方が車にぶつかって道路を横切って歩いて行きました。
こんな状態では、市内を歩いて観光するどころではありません。うわさには聞いていましたが、思っていた以上の危険そうな町でした。もし車から出ると身ぐるみはがれそうです。

メイン道路からはずれて、黒人の方の住んでいる街の道路も通りました。風景がガラットとかわりました。運転手さんは、赤信号でも堂々と徐行して通過してしまいました。
ヨハネスブルグの市内を観光してサントンに戻ったときは、ホッとしました。
観光の本によると、ヨハネスブルグには美術館や博物館などもあるみたいですけれど、行けそうもありません。

ホリデー・イン・ホテルの真正面にあるサントン・シティーというショッピング・モールを見てまわりました。
中にはケンタッキーもマクドナルドもありました。
アフリカの物を売っている民芸店がいっぱいありました。イタリアの輸入品を売っている店や、フランスの輸入品を売っている店もあり、どこの国でも見かけるショッピング・モールとかわりません。

サントン・シティーの中は、黒人の方も綺麗な服装で歩いていました。ヨハネスブルグで見た黒人の方と服装が全く違います。「この違いは一体何なんだ!」という感じです。
黒人の方が半分以上歩いているので、アフリカという感じがしました。美人の黒人の女性も大勢歩いていました。

夕食はサントン・スクウェアーにある中華料理店へ行きました。
サントン・シティーの中には”だるま”という寿司の食べられる日本料理屋がありましたが、少し値段が高そうなのでやめました。 マグロの刺身は、ケープタウンに到着しましたら、旅の最後に食べようと思っています。

あなたが今食べているマグロの刺身は、もしかしたら南アフリカのケープタウンから送られたものかもしれませんよ。

| 南アフリカの旅1995 | 16:19 | comments(0) | trackbacks(2) |
南アフリカの旅1995・司法の首都ブルムフォンテン
JUGEMテーマ:南アフリカ



キンバレーからN1道路を、南西へ向かって何処までも走っていけば、ケープタウンに行けるそうです。ここからケープタウンまでは970キロだそうです。970キロといえば遠そうに思いますが、信号もほとんどないので、8時間で行けるそうです。

でもこのままケープタウンに行ってしまえば、私の南アフリカの旅は終わってしまうのです。
せっかく南アフリカまで来たのですから、もう少し回り道をして行きたいと思っています。

そうそう、ここキンバリーに来たのは、司法の首都ブルムフォンテンに寄るためでした。ブルムフォンテンはここから東に180kmだそうです。
ブルムフォンテンとは、"花咲く泉"という意味だそうです。

ブルムフォンテンは、南アフリカの司法上の首都で、最高裁判所(上訴法廷)が置かれているそうです。現在は自由州(フリーステイト・プロビンス)の州都だそうです。
ここは、南アフリカ連邦時代のオレンジ共和国の首都であり、ボーア人(オランダ系の入植者)が建国した国だそうです。
1902年に英国に敗れましたが、再び自治を勝ち取った、ボーア人の歴史的建築物が多く残されているそうです。

ブルムフォンテンの市役所、議事堂、博物館などを見学しました。
博物館には、原始から現代の人類の研究をテーマに、恐竜の骨などが展示されていました。先住民(コイサン族)の生活等も展示されていました。

ここの博物館の説明を読んでみましたら、黒人の方々の歴史もそう古くはないそうで、15世紀頃に北の方から移動して来たのだそうです。
先住民は狩猟民族のサン族(ブッシュマン)とコイ族(ホッテントット)の方々だそうです。南アフリカの各所に、彼らの書いた壁画が多く残されているそうです。

このコイサン族といわれる方々は、黒人の方々に押されて南下を続けたそうです。その後、今度は入植した白人の方々に南から押され、生活の場をカラハリ砂漠に移したのだそうです。

前回のメールを読んだ沢木さんから、「カジノなんかして遊んばかりいないで、たまにはもっとましな所へ行け」とお叱りを受けましたので、一応、今日見学して学んだことを報告しておきます。

ブルムフォンテンからヨハネスブルグに行くことにしました。ここから400kmで、3時間ほどだそうです。
周囲360度、山一つなく地平線が見える広い道をひたすら走るのも爽快です。
途中、右手の遠く彼方に山が見えました。そこは南アフリカの中にポツンとレソト王国があるのだそうです。



| 南アフリカの旅1995 | 17:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
南アフリカの旅1995・キンバレー


サンシティーを出発して北西へ向かい、500kmほどの道のりを約4時間で走り切り、キンバレーに到着しました。日本の高速道路と違って車の渋滞もなく、快適そのもので した。
そうそう、あなたに「カジノの成果は?」と聞かれそうなので報告しておきます。「惨敗でした」。

先ずはキンバレーの街中に行き、市内の道路脇の広場で地図を調べてビッグホールに向かいました。

ビッグホールは、ダイヤモンドを掘り尽くした廃墟の穴です。直径500メートル、深さ1100メートルだそうです。底には深さ150メートルの水が溜まっているそうで す。採掘されたダイヤモンドは2700キロもあるそうです。
ビッグホールの観光ルートの廻りは、金網で囲まれていました。この大きな穴を手で掘り進んで行ったと思うと、人間の欲望とは凄いものだと呆れてしまいました。

大きな穴のすぐ向こう側にはビルディングが見えました。もし穴が崩れたり地盤沈下が起きたら、ビルディングどうなるのだろうと心配してしまいました。 ヨハネスブルグ近郊では、金鉱山の跡が、時々、地盤沈下を起こしているそうです。

このビッグホールには、当時の歴史を残す建物が大切に保存されていました。ここは全体が博物館のようになっていて、採掘の道具も一 緒に残されていました。
ここで発見されたという最大のダイヤモンドのイミテーションが飾られていました。その大きさにはビックリしてしまいました。この世の中に、こんな大きなダイヤモンドが 存在していたのかと。
「アフリカの星」と呼ばれたダイヤモンドは、84カラットだったそうです。

そう言えば、以前、あなたの奥さんに婚約指輪を見せて頂いたことがありますが、あれはダイヤと言えるような物ではないですね!(失礼)

ここの広場では、選鉱の体験を有料でやらせてもらいました。
バケツ1杯の石を畳半畳ほどのテーブルの上にあけ、手で選鉱するのです。
そこにいた黒人のお兄さんに、「もう何百人もの人たちが選鉱したので、ダイヤモンドは含まれていないだろう」と言うと、「この付近では今でもダイヤモンドの採鉱を行っ ている。そこから石を持って来ているので、運がよければダイヤモンドを手に入れることができるよ」と言われました。
綺麗に水で洗われたような砂の中には、とてもダイヤモンドが含まれていそうもありませんでした。

ヨハネスブルグでケープタウン行きの、世界でも有名なブルートレインに乗ると、キンバレー駅に半日ほど停車し、キンバレーに来るオプションのツアーがあるのだそうです。
大型観光バスで来ていたヨーロッパ人のツアーの方たちは、ブルートレインの乗客だったのかも知れません。


JUGEMテーマ:南アフリカ
| 南アフリカの旅1995 | 18:00 | comments(0) | trackbacks(1) |
南アフリカの旅1995・ピランスバーグ
JUGEMテーマ:南アフリカ



サンシティーの奥には高級なホテルがあり、そのホテルの中にはカジノ場がありました。カジノ場の奥には子供さん向けのゲーム場もありました。
このカジノ場の階段を登っていくと動物の彫刻の通りに出ました。”時の橋”と言うそうです。
象やライオンの像がありました。そこにある動物の像の大きさにびっくりです。
この広場から下を見ると、人造の砂浜があり、波が打ち寄せています。もう砂漠の中の天国そのものです。
古代遺跡を再現した建造物も見えます。まさに悠久の歴史を今に再現した伝説の世界です。ここはロストシティーと言い、アフリカン・ファンタジーワールドとも言うそうです。

夕食はホテルのレストランのバイキングスタイルでした。
太い金棒に刺して焼いた肉は、ビーフとラムがありました。ビーフをナイフで削ぎとって皿に載せてもらいました。ラムも削ぎとってもらいました。
串にさされた牛の肉の焼き鳥みたいなものもありました。ソテーというらしいです。以前マレーシアで食べたことがあります。これは東南アジア料理です。マレー半島からつれて来られた方達がルーツらしいです。

オーストリッチの肉も食べました。チキンのようでもあり、牛のようでもありました。チキンよりもすこし癖があるみたいですが、まずまずの味でした。
インパラという鹿の肉も食べました。煮込んであったところからすると、匂い等の癖があるのかも知れません。
あなたのお薦めのワニの肉が食べたかったのですがありませんでした。

今朝は5時半に起こされて、ゲーム・リザーブへ動物を見に行きました。
20人ぐらいのツアーで、白人と黒人の家族も一緒でした。
屋根なし窓なしの手すりだけの、ごっつい大型ランドローバーの運転席に白人のレインジャーが座っていました。運転席の横にはライフルが置かれていました。ランドローバーの最後尾の1段高い座席には、トレッカーと呼ばれる黒人が座っていました。

6時15分頃、空がまだ明るくならないうちに出発しました。サンシティーから直接ゲートをくぐり、ピランスバーグ・ゲーム・リザーブへ入りました。
ピランスバーグは中央に小高い丘があり、その周囲が自然動物公園になっていました。
しばらくして、最初に見たのがゼブラ(縞馬)でした。5頭が木々の中を歩いていていました。
キリン、インパラ、クド、サイ、カバ、ワニ、ブッシュピッグなど、いろいろな動物を見ました。

トレッカーが「あそこにチーターがいる!」と言ったのですが、私にには見つけられませんでした。
双眼鏡を使用しなであの動物を見つけられるトレッカーは只者ではない、と実感しました。黒人の視力は5.0とか10.0とか聞いていましたが、本当だったのです。

| 南アフリカの旅1995 | 18:47 | comments(0) | trackbacks(2) |
南アフリカの旅1995・サンシティー行
JUGEMテーマ:南アフリカ



"Hoe gaan dit?"
アフリカーンス語で「お元気ですか?」という意味で、「フ・ハーン・ディット」と発音するそうです。

いろいろ思案の末、まずはここから南西に向かい、キンバリーのダイヤモンド鉱山の跡を見て、次に司法の首都ブルムフォンテンに行くことにしました。

今、車は北西に向かって走っています。
「おいおい、キンバリーは南西だろう!」とあなたに言われそうです。
実は、ここから120kmほど行ったところの北西州に、サンシティーというリゾート地があるそうなので、そこに寄り道をして行くことにしました。

以前、南アフリカには三権分離のため3つの首都があり、その3つの首都を回りたいと書きました。
南アフリカには9つの州があるそうですので、すべての州もまわってみようと思っています。
ジンバブエから、北部州(ノーザン・プロビンス)に入り、プレトリアのあるハウテン州に来ました。
ここからキンバリーのある北ケープ州(ノーザン・ケープ)へ行き、帰りにブルムフォンテンのある自由州(フリー・ステイト)に行くと、北西州(ノース・ウエスト)に行くことが出来ないのです。

でもあなたは、私の狙いが何なのか、もうご存知ですよね。
そうです、サンシティーは砂漠の“ど真ん中”にある、ラスベガスなのです。
澳門に寄り道して来た私が、「カジノ」と聞いては、サンシティーに行かないわけがないでしょう。

プレトリア付近は植樹した木のためか、高い木々がありましたが、北へ向かうほど木の高さが低くなり、ブッシュみたいな赤い荒野になってきました。

カー・ラジオでジャカランダ放送が流れています。これは音楽だけの番組です。ときどきディスク・ジョッキーが喋っていますが、英語とアフリカーンス語が交互です。
今、サイモン&ガーファンクルの”スカボロー・フェア−”がかかっています。なぜかこの荒野にあう音楽です。
♪ Are you going to Scarborough Fair,
  Parsley, sage, rosemary and thyme. ♪

サイモン&ガーファンクルの音楽は、”アイ・アム・ア・ロック”や”エイプリル・カム・シー・ウイル”もラジオから流れましたが、なかなかこの荒野にあう音楽です。
赤い大地の荒野がどこまでも続いています。道路は狭くなりましたが整備されていて全く快適な走りです。
この道路の最高走行速度は時速120kmです。窓から見える風景がよく見えません。たぶんこの自動車は150kmぐらいで走っているのかもしれません。

道路沿いに、掘建て小屋みたいな黒人の方の家が続いています。ビニール袋や紙屑が家の周りや、道路の上で風に舞っています。道路との境界に張られた針金にビニール袋が引っかかって、風になびいています。
ここはボツワナに近い、昔のホームランドのボプタツワナ共和国という南アフリカの中のもう一つの国だったそうです。
ヨハネスブルグ付近に住んでいた黒人を、何も取れない不毛の荒野に移動させたという有名な場所らしいです。

砂漠の中に、ポツンとサンシティーはありました。周囲の黒人の方の住居とあまりの格差にびっくりです。まるでお城ではありませんか?
ゲートで入場料の40R(1R=25円)を払って入場しました。
一番手前にあるカバナスというホテルへチェック・インしました。

今、部屋の前で、白い椅子に座りくつろいでいます。グリーンの芝生があり、木々に花が咲いています。あの赤い花はハイビスカスかもしれません。
庭の向こうの人造湖ではモーターボートが走っていて、空にはバルーンが飛んでいます。



 

| 南アフリカの旅1995 | 18:08 | comments(0) | trackbacks(1) |
ルイボスティー
JUGEMテーマ:南アフリカ

健康茶と知られているルイボスティーは南アフリカ産です。
ちょっと薬臭い(?)かも知れませんが、慣れるとやみつきになります。
葉は日本茶や紅茶とは異なります。
もう何十年(?)も前かもしれませんが、「ジャイアンツのキャンプで飲まれた」という噂もありました。

アフリカーンス語で"Rooibostee"と書きます。
英語表記にすれば"Red bush tea"です。
いつも思うことですが、ロイボスだと思うのですが……

南アフリカの友人は、日本茶が紅茶と同じ葉で、カフェインが多いということを知りませんでした。
 「夜飲んで、一晩中寝られなかった」と嘆いていました。


でも緑のルイボスティーは……
"Groen rooi bos tee" (Green red bush tea) と書くのでしょうか?
| その他 | 12:59 | comments(0) | trackbacks(1) |
南アフリカの旅1995・フォールトレッカー
JUGEMテーマ:南アフリカ



「ザンボーナ。ウンジャーニ?」
黒人の方の言語、ズールー語の挨拶です。

南アフリカの行政の首都プレトリアにいます。
これから、南アフリカのケープタウンに行き、喜望峰まで行こうとしているのですが、どのようなルートで行ったらよいか迷っています。
インターネットにアクセスして地図を調べてみましたら、このようなことが分かりました。

このままN1(国道1号線)でヨハネスブルグを経由してを南へ向かえば、ケープタウンに行けそうです。でも途中で何も観光しないうちにこの旅が終ってしまいそうなのです。
私が南アフリカへ来るのも、今回が最初で最後になりそうなので、出来る限り観光をして行こうと思っているのです。

ここから北へ行けばボツワナです。

ここから西へ行けば、司法の首都ブルムフォンテンとダイヤモンドで有名なキンバリーです。さらに西へ向かえば大西洋です。そこから北へ向かえばナミビアです。
ここからキンバリーまでは500km以上もあるみたいです。でも道路の最高走行時速は120kmですから4時間ちょっとです。日帰りで行くことが可能かも知れません。

ここから東へ向かえば、インド洋に面しているモザンビークまで行くことが出来ます。途中でクルーガー・ナショナルパークやスワジランド王国によることが出来るかも知れません。

ここが旅の重要な岐路になると思いますので、プレトリアでもう一泊して考えることにしました。
そんなわけで今日は、フォールトレッカー・モニュメントという所に行って来ました。

フォールトレッカー・モニュメントは、プレトリア郊外の小高い丘の上にポツンと建っていました。
ここはオランダ系のアフリカーナーの”開拓者記念碑”です。イギリス軍に追われて内陸部へ荷馬車に家財道具一式を積んで移動し、内陸部で黒人と戦いを繰り返して開拓を進めていったそうです。
ケープ地方から移住してきた開拓者の歴史と偉業をたたえるためにフォールトレッカー(グレート・トレック)の100年を記念して1937年から12年の歳月をかけて造られたそうです。

建物の内部の周囲には、イギリス軍との戦い、黒人との戦いの苦難の歴史が刻まれたレリーフがありました。27枚の大理石が埋められ、開拓者の移動にともなう苦難と戦いの歴史、活躍した英雄たちの姿が刻まれていました。
アパルトヘイトが廃止され、黒人政権になった今、この記念碑はどうなっていくのだろうと思いました。

建物の中央部には像があり、アフリカーンス語で書かれていました。
"Ons vir jou Suid-Afrika"
日本語では、こんな意味になると思います。
「おお、南アフリカよ!」

この像の置いてある上の天井はオープンになっていて、12月16日の正午に太陽の光が差し込むそうです。
この日は、川が血で染まったといわれる”血の川の戦い”で、開拓者が黒人のズールー王のディンカーンを滅ぼした日なのだそうです。

フォールトレッカー・モニュメントの外に出ますと、周囲を取り囲む塀の内側には、荷馬車の絵が描かれていました。64の荷馬車があるそうです。これは開拓当時に、黒人に襲われたときのバリケードを意味しているのだそうです。

| 南アフリカの旅1995 | 15:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
書籍・「ネルソン・マンデラ」
JUGEMテーマ:読書

ぜひ読んでみたい本です。
 
| 書籍・DVD紹介 | 18:58 | comments(0) | trackbacks(2) |
南アフリカの旅1995・首都プレトリア行
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南アフリカに詳しい方にメールで「何処に行ったらよいか?」と聞きました。
「クルーガー・ナショナルパークの北部は、観光ツアーを見つけるのも大変なので、先ずはプレトリアに行った方がよい」というアドバイスでした。
「クルーガー・ナショナルパークに行って動物を見たいのならば、まずプレトリアに行ってツアーを見つけて行く方が便利だ」というアドバイスでした。

プレトリアに行く途中にあった、ピータースバーグという町は、地図で見ると大きく載っているので、何処か見学をしたかったのですが、運転手さんは「何にも無い街だ」と言って通り過ぎてしまいました。

ツィピーシという温泉から、プレトリアまでの間、結局寄ったのはピータースバーグ手前のフリーマーケットと、ウルトラシティーとういうパーキングでトイレに寄り、車にガソリンを入れただけでした。
フリーマーケットは、インド人の方が経営していました。ここ南アフリカは黒人の方たちがほとんどで、わずかな白人の方たちがいると思っていたのですが、インド人の方たちも多く入植しているそうです。

車で約6時間かかり、南アフリカの首都プレトリアの街に着きました。
ここは、今まで見てきた赤い大地のアフリカと違って大都会です。歩いている人が黒人の方たちでなければ、「ここはヨーロッパだ」と言われれば、そう思ってしまいそうです。
プレトリアの街は、市内の道路は碁盤の目のようになっていて、とても綺麗な街です。先ずは小高い丘の上にある、ユニオン・ビルディングへ行きました。
ここユニオン・ビルディングは、1994年5月、黒人最初のマンデラ大統領が就任の挨拶をした有名な場所だそうです。

そうそう、南アフリカには三権分立のため、3つも首都があるそうです。
ここプレトリアは行政の首都で、司法の首都がブルムフォンテン、立法の首都がケープタウンだそうです。
せっかく南アフリカに来たのですから、3つの首都をめぐりたいと思いました。ケープタウンは最終目的地で必ず行けるだろうと思っていますが、ブルムフォンテンは何処にあるのか、かいもく見当がつきません。

このユニオン・ビルディングの建つ丘の上から市内を一望することが出来ました。出店で絵葉書を見ましたら、紫色の絵葉書がありました。
売店のおばさんに「この紫色は何ですか?」と聞きましたら、「ジャカランダだ」と言われました。アフリカ桜と呼ばれる花だそうで、10月下旬の春になると、市内全体が紫色になるそうです。今は冬のため見ることが出来ないのは残念です。

今晩の宿泊地は、三ツ星のシティー・ロッジというホテルです。風呂はなくシャワーだけですが、ベッドは広くとてもよい部屋です。
南アフリカは治安が悪そうなので、思っていた以上の出費がありそうです。
南アフリカに詳しい方のアドバイスによれば、「少し高めのホテルに泊って、宿を確保するだけでなく、安全も買う」ということになりそうです。



| 南アフリカの旅1995 | 10:09 | comments(0) | trackbacks(1) |
南アフリカの旅1995・ツィピーシの温泉
JUGEMテーマ:南アフリカ



♪南アフリカよいと〜こ、一度はおいで〜、チョイナ・チョイナ♪
今日も南アフリカはニッポン晴れです!
ここは南アフリカですから、ミナミアフリカ晴れと言うのかも知れません。真っ青な空に、所々に真っ白い棉飴のような雲が浮かんでいます。
この雲は手を伸ばせば届きそうな所にあります。ここは標高が1800メートルくらいあるためかも知れません。

そうそう、前回立ち寄ったベンダ共和国は、南アフリカの中にあったもう一つの国で、ジンバブエ寄りにあるそうです。現地の方達はホームランドと呼んでいました。
そう、南アフリカのアパルトヘイト時代、南アフリカの中にもう一つの国を作って、黒人の方達を住まわせたのだそうです。
でも世界のどこの国も認めなかった国なのだそうです。南アフリカの中にはこのような国がいくつかあったのだそうです。
今ではアパルトヘイトもなくなり、このホームランドという名前もなくなったそうです。

ベンダ共和国でバオバブの実をもらったお爺さんに、「何処か泊れるところを知りませんか?」と聞きましたら、「ツィピーシへ行って、温泉にでも入ったら」と言われたので、ツィピーシという所に来ました。
入口に「アベンチュラー・エコー」という看板がありました。「アベンチュラー・エコー」とは、南アフリカの国民休暇村みたいな場所かもしれません。幸い、ロベルダとういう円柱状の壁に円錐状の屋根のついたロッジが空いて開いたので宿泊することにしました。

ここには大きなクワハウスがありました。クワハウスの中には、何種類かの温度の浴槽がありました。
皆さんは温めの浴槽に入っていましたが、私は一番温度の高い43℃の浴槽に入っていましたら、「内臓がボイルされてしまうよ」と脅かされました。
水泳パンツをつけないと浴槽に入れないので、温泉に入った気がしません。私は温泉に入るときは、○○○○で入るのが好きです。
この辺には火山もないみたいですし、何故温泉があるのか不思議です。

夕方、屋外の温泉プールに行って泳いで来ました。
小道にはハイビスカスの花が咲いて、広場では後頭部の白いカラスが餌を探していました。
真っ赤な大きな太陽が、アッというまに沈んで行きました。

チェックインの時にもらった地図を眺めています。
東へ行けば南アフリカ最大のクルーガー・ナショナルパークの最北端に行けるそうです。この公園は日本の四国ぐらいの面積があり、多くの動物を見ることができるそうです。
国道1号線(N1)で南へ行けば、ピータースバーグという町を経由して、南アフリカの首都プレトリアへ行くことが出来るみたいです。
ここで何日間か湯治をして、次の行き先はユックリ考えたいと思っています。



| 南アフリカの旅1995 | 08:29 | comments(0) | trackbacks(2) |
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